PS1版ビートマニアの制作発表
家庭用移植に挑んだ男たち
1998年夏、ビートマニアの家庭用移植が発表された。アーケードのビーマニシリーズと併行してリリースされてきた家庭用作品の歴史。そこには、アーケード版に勝るとも劣らないドラマがあった。
PS1への移植、オリジナル楽曲、専用コントローラー…すべてが手探り状態の初めての家庭用版の開発。その裏側を見ていこう。
「家庭用を作らせてください」
家庭用ビートマニアの企画が始動したのは1997年9月18日。AMショー'97会場で秘密裏に始まっていた。つまり、家庭用ビートマニアの企画はアーケード版1stMIX稼働前から動き出していたということになる。
以前の記事でも紹介したように、AMショー'97はビートマニアという存在が初めて発表されたタイミングである。多くの来場者がビートマニアのポテンシャルに気付いていなかったこの段階で、「このゲームを家庭用に移植させて欲しい」とコナミ上層部に頼み込んだ男がいた。
その男こそ、メタルギアシリーズでおなじみの小島秀夫氏である。
当時、小島秀夫氏が所属していたのは、コナミの子会社「KCEジャパン」であった。コナミは、1995年の阪神大震災で神戸の開発部門が被災し操業不能になったことと、クリエイターに採算性を意識して制作活動を行ってもらうことを目的に、全国各地に分社化した開発会社を設立し始めていた。KCEジャパンはそれら子会社の一つである。
コナミマガジンvol.11目次より。アーケードゲームはコナミ本体が制作し、家庭用ソフトは子会社が制作していた。ビーマニシリーズでも制作子会社が異なっているのが分かる。
小島秀夫氏は、過去にMSX2で発売されたステルスゲーム「メタルギア」の新シリーズ「メタルギアソリッド」を開発中であった。しかし、メタルギアソリッドの完成までにはまだ時間がかかる中で、一刻も早く経営を黒字化させる必要に迫られていた。KCEジャパンは、メタルギアソリッドと同時並行で様々なタイトルを開発していくのだが、そんな状況下で小島秀夫氏が注目したのが「ビートマニアの家庭用移植」であった。
独立当時はちょうど『MGS』の開発中で、リリースまでにあと2年ほどかかる状況でした。でも、経営的には一刻も早い黒字化が求められる。
『ポリスノーツ』のシステムを使って『ときめきメモリアルドラマシリーズ』をつくったり、『beatmania(ビートマニア)』をコンシューマー向けにリリースしたりしたのはそのためですね。
とくに『beatmania』はアミューズメントマシン・ショーで偉い人に「家庭用をつくらせてください」と頼んで…。100万本も売れたのでガッツポーズでしたね。
すべては『MGS』を出すためでした。会社を赤字にするわけにはいかなかったんです。
livedoor NEWS"日本に本物のクリエイターはいるのか? 小島秀夫監督が「作家性」にこだわる理由"
家庭用オリジナル曲を作った男たち
こうしてKCEジャパンで制作されることになった家庭用ビートマニアには、家庭用独自要素としてオリジナル楽曲を収録した追加ディスクを同梱することとなった。
この追加ディスクは、当時KCEジャパンが恵比寿ガーデンプレイスに所在していたことから「APPEND YEBISU MIX」と名付けられ、サウンドディレクターを任されたのはKCEジャパンに所属していた藤後浩之氏(以下、Togo氏)だった。
Togo氏はYEBISU MIXの楽曲を制作するにあたり、初めてビートマニアに触れる人向けの親しみやすい楽曲や、アーケード版には無いジャンルを収録していく方針を打ち出す。
そして、外注コンポーザーとしてトモキヒラタ氏と角田利之氏(以下、L.E.D.氏)に作曲を打診することとなった。
L.E.D.氏は高校時代からゲームサウンドクリエイターの世界で働きたいと考えており、大学卒業後に大手ゲームメーカーへの就職活動を行ったが、コナミを含め全て落ちてしまう。
しかし、どうしてもゲームサウンドの仕事に携わりたいと考えたL.E.D.氏は中小の制作会社にもアプローチを続け、横浜の制作会社「アトリエドゥーブル」でアルバイトとして採用された。その時の採用担当者がTogo氏だったのである。
Togo氏:俺がサウンド担当者で、角ちゃん(L.E.D.氏)のデモテープ聴いて、それで連絡とって面接してっていう。最初聴いた時に、そんなに「おっ!」って感じじゃなかったんだよね。でも、音色の使い方が当時ね、新しい世代が来てるんだなという気がしたんですよ。それで「この人いいんじゃないですか」って当時の社長に言って、それで採用して。
【電人 K】L.E.D. トークセッション vol.12 Togo-chefより書き起こし
この時、L.E.D.氏が持ち込んだデモテープはテクノ・トランス系の楽曲だったようで、当時としては異質なサウンドではあったものの、Togo氏の琴線に触れて採用となった。
Togo氏に採用されたL.E.D.氏がサウンドを担当したPS1用ソフト「らんま1/2 バトル ルネッサンス」。スタッフロールには後に家庭用IIDX等に楽曲提供する高田雅史氏の名前も確認できる。
その後1997年にTogo氏がコナミに転職。KCEジャパンの所属となり、小島秀夫氏からビートマニアのサウンドディレクターを任された際に「昔、一緒に働いていた奴でテクノ好きがいる」といういきさつでL.E.D.氏に楽曲制作を持ちかけたようだ。
しかし、L.E.D.氏は当時多忙であったことを理由にこれを断ってしまう。
L.E.D.氏:GOTTA MIXに入る前に一回声かけてもらって、たぶんYEBISU MIXじゃないかと思うんですけど。「やってみない?」って。そのオファーを断ってしまったのはすごい後々後悔して。
L.E.D.氏:そういう大手からの仕事ってめったに来ないと思っていて、そういうのは絶対やっておくべきだったんじゃないのかと。当時ちょっと忙しかったっていうのもあって。
【電人 K】L.E.D. トークセッション vol.12 Togo-chefより書き起こし
こうして、YEBISU MIXの楽曲はトモキヒラタ氏が3曲提供し、残りの楽曲をTogo氏が制作することになる。
トモキヒラタ氏は当時ロンドン在住のコンポーザー。後に発売されるPS版の攻略本には氏のインタビューが掲載されており、短いインタビューではあるものの、音楽ゲームに触れたプレイヤーがDTM等で活躍しマーケットを拡大させていくことを予見している。
─こういった音楽ソフトの可能性についてどう思いますか?
TOMOKI HIRATA:音楽ゲーム・デジタルミュージック-DTMは、横一線でつながっているので、進化を繰り返しながらマーケットは広がっていくと思います。
─ユーザーに向けて、何か一言お願いします。
TOMOKI HIRATA:このゲームに触れて音楽を作っていこうとする若いクリエイター及びDJが増えてくれればいいと思います。
ビートマニア公式ガイド
専コン「b.m.V」を作った男たち
アーケード版ビートマニアは1997年12月に稼働。予想を遥かに超えるヒット作となったことから、家庭用版のヒットもほぼ確実となった。
しかし、初めての家庭用ビートマニアの制作にはまだ超えるべきハードルが残っていた。専用コントローラーの開発である。
ビートマニアは5つの鍵盤とターンテーブルという特殊な操作形態であるため、専用コントローラーの開発は必須である。当初、コナミは自社で専用コントローラーの制作を検討していたが、ゲームソフトの発売日に間に合わせることができないと判断。周辺機器の開発実績のあるアスキーに生産委託することとなった。
PSへの移植に当たり、コナミでも専用コントローラーの商品化を計画したが、ソフトの開発時期にスケジュールが間に合わなかった。そこで周辺機器では実績のあるアスキーにお鉢が回ってきた。
日経産業新聞 1999年2月4日
しかし、アスキーへ委託した時点で、ゲームソフト発売日は三ヵ月後に迫っていた。せっかく大ヒットが見込まれる家庭用ビートマニアを発売しても、肝心の専用コントローラーを同時発売できなければ、大きな機会損失を生んでしまう。
そこで、新たに鋳型を制作するのではなく、既存の鋳型を流用することで納期を短縮、無事ゲームソフトと同時発売することに成功したのである。
しかし、ソフト開発までの期間は通常の開発期間の半分程度の三ヵ月と短かった。佐藤成由エンタテインメントカンパニー商品開発部部長は「既存製品の鋳型をうまく再利用することで何とか発売にこぎ着けた」と打ち明ける。
日経産業新聞 1999年2月4日
ファミ通PS1998年7月24日号より。この写真の専コンは試作品で、ターンテーブルにASCIIの文字が印刷されていたり、手前側に貼られているシールが異なるなどデザイン面で製品版と相違点が見られる。
ハイパープレイステーション1998年9月号ではアーケード版のコントロールパネルと専コンの試作品が掲載されている。鍵盤やターンテーブルの配置やサイズはアーケード版と異なっていることが分かる。
ゲーム業界が注目した非オタク系ゲーム
ファミ通1998年7月17日号では「緊急速報」としてビートマニアのPS1版移植を報じている。この段階で発売日が1998年9月24日であること(実際は10月1日発売に延期)、PS版オリジナル曲が8曲収録(実際は9曲)されること、専用コントローラーが同時発売であることが決定している。
ファミ通1998年7月17日号に家庭用移植の初報が掲載された。この時点では発売日が9月24日(実際は10月1日に延期)で、専コンの価格も予価5,800円(実際は4,990円)となっている。ギリギリまでコストダウンを行ったのだろう。
この時期、ファミ通だけでなく他のプレイステーション系ゲーム雑誌でも家庭用ビートマニアの情報は大々的に特集されており、注目度が高かったことが伺える。
家庭用ビートマニアが開発された1997年~1998年の家庭用ゲーム業界は、プレイステーション一強の時代であった。当時のソニー(SCE)は顧客層を拡大するために「ゲームは大人や女性も遊ぶもの」というマーケティングを展開しており、ソフトラインナップやCM展開等でも従来の子供向け・マニア向けといったテレビゲームのイメージを払拭する戦略を採っていた。
ゲーム雑誌記事に著名女性タレントを起用したり、ファッションやスポーツやカルチャー記事と絡めたゲーム記事、アート性の高いソフトの特集など、「ゲームで遊ぶのはカッコイイ」というイメージ戦略を推し進めていたのだ。
PS1版ビートマニアは、この戦略にピッタリ当てはまるタイトルだったのである。それゆえに、ゲーム雑誌ではソフト紹介のページだけでなく、コラムや特集記事等にも取り上げられている。
元々、ビートマニアは開発スタッフらのクラブミュージック好きが高じて生まれたゲームであり、決して時流に乗ろうとして作られたタイトルではなかったが、結果として当時のゲーム業界のトレンドを追い風としてヒットしていったのである。
じゅげむ1998年10月号。「オタクでなければ彼氏がゲーム好きでも良い」という論調。ビートマニアなどの音楽ゲームは非オタク系ゲームとして持てはやされることになる。
じゅげむ1998年11月号。メディアがビートマニアのプレイヤー層をどのようにイメージしていたかが分かる。
『ビートマニア』の面白さを最初に発見したのは、高校生たちだった。自分をカッコよく見せられるこのゲームを、彼らはこぞってプレイした。新宿や渋谷など繁華街にあるゲームセンターでは、いまだに変わらぬ人気を誇っている。
順番待ちの行列の中で待ちきれずに体を揺すっている女子高生がいれば、巧いプレイを披露する人にはギャラリーから拍手がよせられる。
そんな光景を眺めながら、僕はあることに気づいた。これは「史上初のモテるゲーム」なのだ。UFOキャッチャーやプリクラなど、カップルで楽しめるアミューズメント機器は、これまでにもあった。だけど上級プレイヤーがここまでカッコよく光り輝くゲームは、ゲームの歴史を振り返っても、『ビートマニア』しかない。10代がこぞって遊ぶのは、当然なのだ。
じゅげむ1999年1月号
家庭用移植に対する考え方
アーケードで2ndMIXが稼働してから家庭用移植版の発売まで7か月弱。アーケードゲームの家庭用移植については、往々にしてゲームセンターの利益と相反するという問題点を孕んでいる。
しかしビートマニアの家庭用移植については、家庭移植による相乗効果の方が大きいと判断。「ギャラリーに見せる」という要素を考慮し「自宅で練習してゲーセンで披露する」というスタイルを想定。早めのタイミングで家庭用移植を行っていく方針を示している。
「これまで業務用ゲームを家庭用ゲームに移植するのには、「ゲームセンターの客が奪われてしまうのではないかという心配があり、消極的だった」(木戸常務)
しかし、ビートマニアの場合、「業務用と家庭用で客の取り合いをするのではなく、お互いの売り上げを伸ばす相乗効果の方が大きいと判断した」(木戸常務)。家庭用ゲームで腕を磨き、上達したらゲームセンターでその腕前を披露するといった、「見せるゲーム」ならではの遊び方を想定したのだ。
日経ビジネス 1999年2月15日号
ただしゲームセンター経営者保護のために、家庭用の新バージョンが出るのは四~五ヵ月ほど後になる。家庭で練習し、うまくなったと思ったらまた新バージョンが出てくる。この追いかけっこが家庭とゲームセンターを結ぶことになり、相乗効果を生むことにつながっている。
またこれは、子どものゲームに親を引きずり込むことにもなった。
JAL機内誌 Agora 2000年6月号
これらはコナミに対するインタビューであるが、一方でオペレーター側からは(ビデオゲーム全般に関して)このような意見も出ていたようだ。
基盤タイプのビデオゲーム低迷に関して、以前から「コンシューマへの早すぎる移植」が挙げられているが、その傾向は一向に改まらない。
「メーカーは家で練習して、ゲームセンターで本番というが、そういう人がどれほどいるか疑問」。
アミューズメント産業 1999年4月号
家庭用ビートマニア、記録的ヒット作になる
そしてミリオンヒットへ
こうして1998年10月1日に発売された家庭用ビートマニアは、国内累計出荷本数100万本を超えるミリオンヒットを記録した。発売直後に発行されたKONAMI magazine VOL.9ではTogo氏による楽曲開設が掲載されており、APPEND YEBISU MIXはアーケード版よりポップな雰囲気を狙って作ったと語っている。
KONAMI magazine VOL.9では、Togo氏が手掛けた楽曲について自ら解説。メタルギアソリッドの宣伝も抜かりない。
アーケードでも大人気稼働中の「beatmania2ndMIX」の曲が収録された「ARCADE DISC」がコアでマニアックな魅力の楽曲が多いのに対して、PS版オリジナルの「APPEND DISC」は全体的にポップ寄りな雰囲気の選曲になっている。
「SKA」「HARDTEKNO」のような超ムズカシイ曲は収録されていないので、熟練のbeatmaniaマニアには少し物足りないかもしれないけど、友達同士やカップルでワイワイとプレイするにはピッタリ。ぜひ2Pでプレイすることをお奨めします。
コメント:PS版「beatmania」composer&sound directer トーゴヒロユキ
KONAMI magazine VOL.9
アペンドディスクの真の狙いとは?
この家庭用ビートマニアでは「アペンドディスク」というシステムが採用されている。今回発売された家庭用ビートマニア2ndMIXを「キーディスク」と呼び、「キーディスク」を経由してディスクを入れ替えることで、今後発売される様々なアペンドディスクが遊べるようになるというもの。アペンドディスクを遊ぶためにはキーディスクが必要になる反面、アペンドディスクの価格は安く設定されている。
このアペンドディスク、実は単体で起動できるだけのデータが入っており、単に「キーディスクを経由しないと起動できない」というガードがかかっているだけなのである。なぜこのようなシステムにする必要があったのだろうか?
これは筆者の推察になるが、これはセット販売的な意味だけでなく、専用コントローラーを購入してもらうための苦肉の策という面もあるのではなかろうか。
専用コントローラーの価格は4,990円。ゲームソフトと一緒に購入すれば総額一万円を超えることを考えれば決して安くはない。しかし、今後この専用コントローラーを使える作品が多数発売されればコントローラーのコスパは良くなっていくことになる。
そこでアペンドディスクという方式を採ることで、今後も継続して追加ディスクが発売されるということを暗にほのめかすことで、専コン購入の敷居を下げることを狙ったものではないだろうか。
今後発売されるAPPEND CDでは、★★★★★(星5つ)以上ばかりを集めたセレクションなどの企画も練っているので、今後も期待しててね!
ビートマニア公式ガイド
新聞に載った唯一の専コン「b.m.V」
何とか同時発売にこぎ着けた専用コントローラー「b.m.V」の売れ行きも非常に好調で、製造ラインを大幅に増やして70万台以上を販売した。
発売当初は品薄が続いた。そこで通常なら一、二ライン程度で製造するところを五ラインまで増やして対応した。
(中略)ビートマニアのユーザーは自宅で練習してゲームセンターで腕前を自慢する傾向があるため、業務用機に近い感覚のコントローラーが受け入れられた。
価格は四千九百九十円とひとつのゲームを遊ぶだけの製品としては高めだが、ユーザーの中にはゲームセンターで二人分を同時に操作する"荒業"を練習するために、二個同時に購入する人も少なくないという。
日経産業新聞 1999年2月4日
この「b.m.V」は通称「アスキーコン」と呼ばれ、後に発売される様々な専コンと比較すると再現度が低いことから、プレイヤーからの評判は決して高くない。しかし、家庭用ビートマニアの発売スケジュールに間に合わせることを至上命題として、更に価格を4,990円に抑えて普及させるという目的を達成するには、この仕様が最適解だったのだろう。
アスキーコンが同時発売できたからこそ、家庭用ビートマニアがこれだけヒットしたわけであり、商業的・知名度的には歴代最強のビートマニア用専コンと言っても過言ではないのではなかろうか。
日経産業新聞1999年2月4日の記事。ゲームの周辺機器としては異例のヒットということで取り上げられている。
アスキーコンの異例のヒットを受けて、1999年1月にはファミ通誌上で3種類の特注モデル「MODEL-F専コン」を限定販売することを発表。それぞれ著名デザイナーが本体とパッケージデザインを手がけ、鍵盤は発光ダイオード内蔵かつ消音設計と、通常のアスキーコンと比べてパワーアップしている。
ファミ通1999年1月1日号で告知された特注モデル「MODEL-F専コン」応募受付記事。各モデル限定1500台でシリアルナンバー付き。価格は5,800円だった。
更にレアなバージョンとして、「TVパニック店頭専用コントローラー」が存在する。TVパニックとは、かつて存在していたゲームソフト販売店のフランチャイズである。
当時は、街中に小規模のゲームショップが多数存在しており、店頭にソフトの試遊台が設置されていた。このコントローラーは、TVパニックのビートマニアの試遊台に置かれていたもので、ターンテーブル部分に専用のデカールが貼り付けられているのが特徴である。
ターンテーブルに貼られているステッカーにはKONAMIの文字が入っていることから、店頭販促のために公式に生産されたものだろう。当時、全国のゲームショップにビートマニアの試遊台が置かれていたことを物語る貴重な史料である。
TVパニック店頭専用コントローラー(非売品)。なお、ステッカー以外はアスキーコンと同様。
上記のTVパニック店頭専用コントローラーは、こちらの動画で紹介されていたもの。動画では他にも様々な専コン・グッズなどが紹介されている。
プロデューサーとしての小島監督の功績
こうして商業的に大成功を収めたPS1版ビートマニアは、その後もKCEジャパンが制作していくことになる。もし、AMショー'97の段階で小島秀夫氏が家庭用の制作権を直談判しなかったら、家庭用移植は他の子会社によって行われたかもしれない。
仮に、他の子会社で家庭用ビートマニアが制作されていたら、Togo氏やL.E.D.氏などはビートマニアに関わることは無く、別のスタッフによって家庭用シリーズが制作されていくことになっただろう。
メタルギアシリーズを制作したクリエイターとしてのイメージが強い小島秀夫氏だが、ビートマニア移植権獲得への迅速な動きや、後にビーマニシリーズの中心を担うスタッフの人選など、プロデューサーとしての手腕も随一であった。彼の存在はビーマニシリーズの歴史に大きな影響を与えていることは間違いない。
anan 2022年2月9日号の小島秀夫監督特集に掲載された年表。家庭用ビートマニアも小島秀夫プロデュース作品として明記されている(※印は監督作品/無印はプロデュース作品)。
初年度で会社を黒字化するためにドラマシリーズとビーマニのPS版を並行して製作。猛烈に働いた😅 https://t.co/y7aa0bb4nY
— 小島秀夫 (@Kojima_Hideo) September 26, 2022
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