音ゲーが席巻するAMショー'98
「白いポップン」と「IIDX 0th style」
「ビートマニア」が世に発表されたAMショー'97から一年が経ち、1998年9月17日から東京ビッグサイトにて開催された「第36回アミューズメントマシンショー」(以下「AMショー'98」)。会場の様子は昨年と大きく変わっていた。
各社はこぞって音楽ゲームを発表。コナミはビートマニアのヒットを受け、新たな音楽ゲームを複数出展し、一連のタイトルを「BEMANIシリーズ」と称して音楽ゲームというジャンルの確立を図っていく。
会場ではビートマニア初の公式大会が行われる等、現在のビーマニの基礎を形作ったともいえるAMショー'98の様子を見ていこう。
様変わりしたAMショー
前年のAMショー'97で発表されたビートマニア1stMIXが大ヒットしたことを受け、AMショー'98での各メーカーの出展傾向は大きく変化。シール等自販機や対戦格闘ゲームが勢いをひそめ、音楽ゲームや体感ゲーム等の大型ビデオゲームが次々と発表されていた。
コナミ以外のメーカーからも、セガの「モグラッパー」、ナムコの「パカパカパッション」などの音楽ゲームが出展されており、ビートマニアのブームに業界全体が追随していく様子が見受けられる。
週刊ファミ通1998年10月9日号より当時の会場の様子。各紙で特に話題になっていたのはセガのNAOMI基板と、コナミのビートマニアシリーズだった。
この背景には、家庭用ゲーム機の高性能化が一段と進む中で、アーケードでしかできないゲームジャンルとして「体感ゲーム」「音楽ゲーム」に活路を見出そうとしていたという事情もある。
AMショー'98の2か月後には、セガの家庭用ゲーム機ドリームキャストが発売されることになっており、ゲーム業界はPS1世代の性能を凌駕する次世代機(「第7世代家庭用ゲーム機」とも呼ばれる)に向き合い始めた時代であった。
もはやゲームセンターは家庭用タイトルの新作発表の場として存在していると言っても過言ではないかもしれない。いろいろな統計を見てみると、明らかにゲームセンターは昔より活気を失いつつある。
そして追い打ちをかけるように、さらなる次世代ハード「ドリームキャスト」が近々発売されようとしている渦中に開かれた、今回の「第36回アミューズメントマシンショー」。
全体的にビデオゲームよりも、「ビートマニア」や「レースオン!」などの体感型ゲームやプライズゲームの出展が多く、各メーカーは"アーケードでしか楽しめないゲーム"に力を入れていた。
ザ・プレイステーション 1998年10月23日号
コナミは今回のショー開催前にゲーメスト誌上でのインタビューで「次回は単純に『3』ではない」「今度のAMショーであっと言わせます」と予告しており、出展内容に期待が集まっていた。
beatmania 3rdMIX発表
コナミブースでは目玉タイトルとしてビートマニア3rdMIXを出展。試遊台は4台設置されていたが、それでもさばき切れないほどの人だかりができていた。
週刊ファミ通 1998年10月9日号より。写真奥の2台はポップンミュージックである。
じゅげむ 1998年12月号でも3rdMIXの盛況ぶりが取り上げられている。
●ビートマニア3rd MIX(コナミ)
ヴィジュアルも音もカッコイイので。でも、人前だと少し恥ずかしいかもしれないと思う。(メーカー 23歳 女性)
ゲーメスト 1998年11月15日号
また、ビートマニア3rdMIXでは新たに小型筐体を開発し、店舗のスペースを最大限に活用できるようにしている。この小型筐体も含めると、3rdMIXの試遊台は6台出展されていたことになるが、それでもなお行列ができており、当時の熱気が垣間見える。
コインジャーナル1998年10月号より。2台のmini筐体が出展されているがこちらも行列ができている。
ビートマニア初の公式大会開催
このAMショー'98の最終日である1998年9月20日、コナミブースにてビートマニア初の公式大会「beatmania BATTLE OF THE CLIMAX 1998」本戦が行われた。
事前に全国のゲームセンターでの店舗予選、地区大会が開催されており、これらを突破した67名が、一堂に会して頂上戦を行うという企画である。
マイコンBASICマガジン1998年8月号小冊子より。複数のゲーム情報誌にこのような告知が掲載されていた。
この頂上戦では、まず「DEEP CLEAR EYES」単曲のスコアで上位10名に、二次予選「DO YOU LOVE ME?」で上位4人にまで絞られ、この4人が準決勝へと進むという試合方式を採っていた。
ゲーメスト 1998年11月15日号より。後のKACやBPLにつながるコナミ音ゲー大会の歴史はここから始まった。
この大会ではオールGREATを出すことは大前提で、その上でグルーヴゲージギリギリクリア(IIDXでいうところのノーマルゲージ80%ジャストでのクリア)で得られるボーダーボーナスを取るのが当たり前というレベルの高さだったという。なお大会は実名登録が必須。
準決勝では「E-MOTION (2ND MIX)」が課題曲となったが、「PERFECT&ボーダー(理論値スコア)」を叩き出した2名が、決勝課題曲「SKA A GO GO」で激突するという見応えのある試合内容であった。
マイコンBASICマガジン 1998年11月号より。2ndMIXの10万点スコアMAXに加えて、空POORによるゲージ調整を行いボーダーボーナスを獲得することが当然のように行われる大会だったことが分かる。
なお、この大会の様子がyoutubeにアップされている(注:外部サイト)。実際に左手皿を使用している場面も。
優勝者にはトロフィーの授与のほか、副賞として当時開発中のbeatmania IIDXのムービー出演権が与えられることとなった。
優勝者が出演したムービーは、IIDX 1st styleの「e-motion」とエンディング。ムービーでは、ダブルプレイをはじめ、プレイ中に開脚ジャンプを決めている姿も収録されており、当時の上級者達が、スコアだけではなくパフォーマンスにも重点を置いて楽しんでいたことが窺える。
IIDX 1st styleの「e-motion」のムービー。プレイ中に振り向き、そのまま一回転しながらジャンプをしてプレイを続行するシーンがある。
表彰式の後、エキシビジョンとして「ビートマニア香港チャンプ」という女性が登場。「SKA A GO GO」での対戦と、「20,NOVEMBER」のパフォーマンスプレイが行われている。この時期に香港でビートマニアが稼働していたのか、大会が開催できるほどのプレイヤーがいたのかは記録が無いため定かではないが、「20,NOVEMBER」を即興でダブルプレイしていることから、相当の腕前を持っていることは間違いない。
ゲーメスト 1998年11月15日号より。香港チャンプと握手する優勝者。エキシビジョンでは対戦だけでなく、曲の途中に二人で交代しながらのプレイ等の高度なパフォーマンスまで披露された。
このエキシビジョンの後、壇上でダンサーによるパフォーマンスショーが行われて大会は閉幕となる。公式大会実施後にライブという形式は、後にKACやBPL×EDPへと受け継がれていくことになるのだが、初の公式大会の時点で音楽ゲームとライブパフォーマンスの親和性の高さに着目し、このようなイベントを行っていることは驚きである。
マイコンBASICマガジン 1998年11月号にはAMショー'98会場で行われたパフォーマンスショーの様子が掲載されている。
ビートマニアの遺伝子を受け継ぐ3機種
コナミがAMショー'98で発表したのはビートマニア3rdMIXだけではなかった。
ビートマニアの流れを汲むタイトルとして「ダンスダンスレボリューション」「ポップンミュージック」「ビートマニアIIDX(仮称)」という3機種を立て続けに発表、ビートマニアを含めたこれらの機種を「BEMANIシリーズ」とブランディングして展開することとなった。
小坂田圭氏:3rd Mixと同時に「ビートマニアII」の企画もスタートさせましたが、もっと親しみやすいものをということで、「ポップンミュージック」が開発されました。「ポップンミュージック」や「ダンスダンスレボリューション」は、「ビートマニア」がヒットしなければできなかったゲームであることは確かだと思います。
ザ・プレイステーション 1998年10月16日号
ビートマニアの最盛期に発表されたこの3機種は、現在まで稼働し続ける息の長いシリーズとなっていく。
ダンスダンスレボリューション~メディア注目度No.1
「今度のビートマニアは足で操作?」と来場者の度肝を抜いた新機種「ダンスダンスレボリューション」(以下「DDR」)は、プレイする姿がひと際目立つことからマスメディアからの注目度も高かった。しかしながら、オペレーターからは「恥ずかしがってプレイされないのでは?」という懸念も持たれていたようだ。
しかし、そんな不安をよそに、DDRは稼働後にはビートマニアを上回る大ヒット作品となり、社会現象を巻き起こすことになる。
アミューズメント産業1998年10月号より。待機列までダンスが伝播する光景を見て導入を決めたオペレーターも存在したようだ。
「恥ずかしがってプレイしないのでは」との危惧もあるが、偶然ロケテストに遭遇したオペレーターの話では「順番待ちの列ができる盛況で、プレイヤーの後ろで一緒にステップを踏む姿も見られた」という。
アミューズメント産業 1998年10月号
特に、今回初お目見えとなった「ダンスダンスレボリューション」の周りは異様な熱気に包まれ、本当にここはゲームショーの会場か?と言うぐらいの高いテンションに支配されていた。
「ダンス~」はプレイヤーのみならず、待っている人間やギャラリーも(練習がてら)曲に合わせてステップを踏むという有り様で、筐体周囲がダンスフロアと化すという異常事態が発生していた。こいつは発売後のブレイクが超!期待できるってモンだ!
ゲーメスト 1998年11月15日号
ポップンミュージック~ライトユーザーでも安心
クールでかっこいいというビートマニアと対極に位置するかのようなカラフルでキャッチーな筐体が目を惹く新機種「ポップンミュージック」(以下「ポップン」)。
そもそもビートマニアの狙うターゲット層は、プリクラブームでゲームセンターに通うようになった女性客やライトユーザーだったのだが、予想に反してコアユーザーに人気が出たという経緯があった。
ポップンは、改めて当初のターゲット層であるライトユーザーに好んでプレイしてもらえるようなタイトルとして開発されているようだ。
また、当初は2~3人で遊ぶことも想定しており、赤ボタン(ラブボタン)の仕様など、カップル客もターゲットとして制作されている。
ゲーメスト 1998年11月15日号より。敷居の高いビートマニアに対して、初心者でも安心という点をアピールポイントにしている。
5色9つのボタンを押してプレイするライトユーザー向けサウンドシミュレーションゲーム。ゲーム方法はビートマニア風で、対応する各色・各位置ボタンを押して曲づくりに参加する。
対戦型演出画面で、レベルゲージが上がると、譜面が見にくくなる等のおじゃま機能が発動する演出もある。
また、1人でなくても、3人位まで一緒にプレイを楽しめるようになっている。
ゲーメスト 1998年11月15日号
製品版ポップン1のデモ画面。複数人によるプレイを推奨している表示が確認できる。みんなでワイワイプレイして欲しいという制作陣の意図が垣間見える。
それではここで開発中のポップンについて見ていこう。ビートマニア同様に、ポップンも開発中に様々な試行錯誤が行われていたようだ。開発初期のものと思われるポップンの画面写真が発掘されたのでご覧いただきたい。
コナミ年鑑'98に掲載されている画面写真。ジャンル名「TECHNO」、曲名「TECHNO GO GO」という楽曲は製品版では存在しない。幻の楽曲なのだろうか…
上記画面写真のミミは開発中のデザイン。初代ポップン筐体下部にもこの開発中デザインのミミが描かれていることから見たことがある人もいるのでは?
開発初期のポップンは白を基調とした背景で、ポップ君は全て同じ色だったのである。画面下部のボタンも全てピンク色になっていることから、ボタン色も全て同じだった可能性が高い。
ビートマニアと対称的なイメージを打ち出すために、あえて明るい配色を選んだものと思われるが、結局は視認性が悪いと判断されたのか、背景を黒色に変更、ボタンとポップ君の色分けをすることになった。
ゲーメスト1998年11月15日号より。だいぶ製品版に近い画面になっており、開発がある程度進んだバージョンと思われる。しかし、ポップ君の形状が異なっており、レーンごとのポップ君の大きさも全て同じになっている。
こちらは製品版のポップン1。ポップ君が丸みを帯び、奥側のボタンに対応するレーンのポップ君サイズが小さくなっているなど改良が加えられている。
このように、ポップンは視認性を中心に改良を重ねて製品化されたのである。ポップンは制作陣の期待通り、女性を中心としたビートマニアで捉えきれなかった顧客層を音楽ゲームに呼び込むことに成功する。
ビートマニアIIDX~幻の0th style
ビートマニアのシステムを踏襲し、鍵盤を7個に増やした「ビートマニアIIDX(仮称)」は、DDRやポップンと異なり参考出展として展示された。
DDRとポップンはAMショー'98直後に稼働していることから、製品版とほぼ同等のものが出展されていたのだが、「ビートマニアIIDX(仮称)」は正式名称も決まっていない開発途中のバージョンが出展されていた。
コナミ広報:出しますよ。「ビートマニアIIDX」。AMショーのときは、開発進行度0%でした。譜面の配列もきちんと作り直しますし、グラフィックも全部新しくなります。
コナミ広報:曲に関しては、AMショーのものも使われますが、新しい曲も追加する予定ですよ。
ザ・プレイステーション 1998年12月18日号
コインジャーナル1998年11月号別冊付録では出展された筐体の写真が掲載されている。タイトル画面にはbeatmaniaIIDX for JAMMA SHOW versionと表示されている。
AMショー会場ではIIDXの特徴として、「40インチワイドモニター搭載」「振動BASS」「5つのイコライザーで本格DJプレイ」「鍵盤が7つになりターンテーブルの位置を変更」「ニューヨークレコーディングされた曲も収録」と紹介されていた。
会場ではプレイヤーからの注目度が極めて高かったようで、出展された筐体には人が群がっていたという。マイコンBASICマガジンのAMショー'98レポートではプレイ中の写真も掲載されており、通常のプレイは可能だったようだ。
マイコンBASICマガジン1998年11月号より。IIDX JAMMA SHOW ver.をプレイしている様子を捉えた貴重な写真である。
そしてネクストレベルのヴォルテージが期待の「ビートマニアIIDX(参考出展)」も多大な注目を集めていた。
特にビートマニアIIDXは筐体が1台しか出ていなかったこともあって、筐体周囲は会場内密度ナンバー1。
ゲーメスト 1998年11月15日号
●ビートマニアIIDX(コナミ)
むずかしい。でも製品化されればライトユーザー向けのモードが付くのか?(ディストリビューター 25歳 男性)
ゲーメスト 1998年11月15日号
DDRやポップンが新たなプレイスタイルや顧客層を開拓するという狙いを持っていたのに対して、IIDXは「ビートマニアを極めた人たちへのハードバージョン」という位置づけであった。
すなわち、対象となる顧客層は「五鍵ビートマニアプレイヤーの一部」に絞られることになり、インカム的には厳しいコンセプトである。事実、DDRやポップンとは対照的にIIDXは厳しいスタートを切ることになる。
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