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1997/10ビートマニア(1st)ロケテスト実施

 AMショー'97で遂にお披露目されたビートマニア。その翌月の10月に、大阪でビートマニアのロケテストが行われている

 しかしながら当時はインターネットの黎明期でもあり、巨大掲示板やSNS等の情報を拡散する手段も乏しく、このロケテストの記録はほとんど残っていない。僅かな情報を手掛かりに、このロケテストがどんなものであったかを解明していきたい。

ロケテストはこっそりやる時代

ロケテの実施内容?当時の個人制作ホームページとかにあるんじゃないの?
「ロケテ情報を大っぴらに流すな!それが原因でロケテが中止になったらどうする気だ!」って時代だったんだぞ!

 当時のロケテは事前告知など無く突発的に実施されることがほとんどだった。これは、他社メーカーによる妨害(出来の悪いゲームのインカムをわざと上げてそのまま発売させるよう誘導する等)に対する防衛策だったようで、「ロケテの情報が無闇に広まってしまうと、ロケテ自体が中止になりかねない」という考え方もあったようだ。

他社のロケテを妨害するとかエグい話だな!
ロケテを見かけても本当に仲間内でしか情報は共有されなかったんだろうね。SNSなんか無いし、そもそも屋外でネットなんか見られない時代…
シリーズ物なら個人サイトの掲示板とかで情報交換されてる可能性もあるけど、誰も知らない新規タイトルだしなぁ…

大阪で一週間行われていた

 ロケテについては、2ndMIXサントラのライナーノーツにて、南雲氏が「茶屋町でロケーションテストを」と述べている。

 また、当時の個人サイトに日記が残っており、ロケテはコナミの直営店「チルコポルト茶屋町店」(現在は「アミュージアム茶屋町店」として営業)で10月に行われていたことも分かった。

このサイトでは、その時の様子を書いた原稿まで出来上がっており、気が向いたらアップするとされているが、見つけることはできなかった。

 また、他の個人サイトでも「1997年秋頃に阪急東通商店街のゲーセンでビートマニアを女子高生2人組が遊んでいた」「プレイしてみたら周りから『おおおっ!!!』という反応があった」いうような記述があり、他のゲーセンでロケテが行われていた可能性も否定できない

この曲は、開発も中頃を過ぎ、大阪の茶屋町でロケーションテストを、行っている時期に作ったもので、まだ曲数が少なかったのにも関わらず多くの人に遊んでもらい、この機種は成功すると自信がついた頃である。

beatmania 2nd MIX complete ライナーノーツ「20,NOVEMBER」
当時の状況を知っている方がいましたら情報を頂けるとありがたいです

ロケテストは大盛況

 結果的にこのロケテは大成功だったようである。プロジェクトチームが当初狙っていた顧客(普段ゲーセンに来ない層)からコアゲーマーまで幅広く集客できたようで、南雲氏ら制作陣は、前月のAMショーと今回のロケテを通じて、このタイトルの成功を確信したという。また、ロケテの期間が一週間だったことも書かれている。

1週間ほぼ毎日、どういう仕事なのか学生さんなのかわからないですけど…朝から晩までプレイしている人がいて(笑)。それが2人、3人…と増えていって、友達同士になっている様子を見て「これはいける!」と思いました。

ビートマニア プレスミックス

Beatmaniaは、私たち開発者にとって初の音楽ゲームということもあり、ゲームシステムに数々の不安がありました。そういった中で、アミューズメントマシーンショー出展や、ロケテストを通じて、大勢の方々に貴重な意見を伺い、完成に至りました。

beatmania 2nd MIX complete ブックレット
ロケテガチ勢!この頃から存在していたとは…
制作者としても生の反応が無いと不安だったんだろうな。現代のPR要素の強いロケテとは雰囲気が違うね

既にビートマニアの個人サイトがあった?

 翌年夏のゲーメストに掲載された開発者インタビューで、当時の事を振り返った岡本浩司氏(GM第2研究開発部部長)は「去年の10月頃にインターネットでビートマニアのホームページを読んだ」と話している。

 これが事実だとすれば、ロケテの段階で情報をまとめたサイトが存在していたということになる。岡本氏の記憶違いという可能性もあるが、ビートマニアの稼働はこのインタビューの前年の12月であり、記憶違いと考えるには疑問が残る。ロケテで毎日遊び続けたプレイヤーがいたことから、こうした熱心なプレイヤーがサイトを作っていた可能性も否定できない。

去年の10月ごろ、インターネットでビートマニアのホームページがあるということで、それを読んでいたのですが、私たちは難しいと思っていたのとは半面(原文ママ)、結構クリアしている人が多いということを知ったんです。

ゲーメスト 1998年7月30日号
この短い文章でも誤字があるあたり流石ゲーメスト!
稼働前後の時期の様子については本当に情報が少ないので、もっと知りたいところ

制作者からの挑戦状

 このロケテの段階では、1stMIX最難曲であるハウス(20,novemver)は収録されていなかった。ロケテストでプレイヤーが全曲あっさりとクリアしていくのを見た制作陣が、より高難度のステージを作ろうということで出来上がったのがハウスだった。なお、当初の曲名は「I'll be there!」

 まだまだ「いかに短時間で100円玉を消費させて回転率を上げるか」というゲームデザインだった時代である。なお、製品版の1stMIXでも、2人プレイで片方がステージクリアできなかった場合は、クリアできなかった方のプレイヤーは1クレジットを投入してコンティニューしないと続行できない仕様になっている。

ビーマニ史に残る楽曲の初出で曲名に誤字があるあたり流石コナミ!
ロケテの曲を簡単にクリアされたからハウスができたってことは、つまりリアルONE MORE EXTRAか
ところで「I'll be there!」ってどういう意味なの?
「俺がついてるだろ!」みたいな…
APPEND FESTIVAL!

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