1998/01インカムランキングに初登場
業界各誌が毎月集計しているランキング。昨年12月に稼働したビートマニアが、1998年1月のランキングに初登場する。当時のゲーセンにおける主力タイトルの状況なども含めて振り返ってみる。
オペレーター「冬の時代」
ビートマニア登場前の1997年11月、業界誌「アミューズメント産業」のTOKYOアーケードゲーム人気ランキングコーナーでは「携帯電話の普及による電話代の高騰」や「コンシューマゲーム普及に伴う業務用ビデオ離れ」などが指摘されている。
また、プリクラブーム以後に業界が躍起になってきた「女性客やライトユーザーの取り込み」についても、ライトユーザーにこだわりすぎてしまうことでコア客が家庭用ゲームに流出してしまったのではないかと分析している。
男子では80%以上がテレビゲーム(パソコンゲーム含む)で遊んでいると答えているが、女子では約半数が「全くしない」と回答するなど、男女間格差が浮き彫りになっている。
このような傾向から「一般客の取り込みは大事だが、これまではそのことにこだわりすぎてマニアなどのコア客を少なからず減らしてしまった(中略)厳しい環境下にあってはコア客をつかんだうえで、一般客集客を図るべき」というオペレーターも現れており
アミューズメント産業 1997年12月号
ビートマニア稼働直前のランキング
1997年12月中旬調べの同コーナーのランキングではインカム1位から6位までをプライズ機が占め、ビデオゲーム機は7位に「バーチャストライカー2」、12位に「ロストワールド:ジュラシックパーク」、13位に「電車でGO!」がランクインしている状況であった。
プリクラに代表されるシール自販機も8位に「なんでもシール委員会」、9位に「プリント倶楽部2」とそこまで順位は高くないといった状況であった。
ビートマニアが上位に食い込む
1998年1月中旬調べのランキングでは、AMショー'97で出展されていた作品が次々とランクインしている。
1位~3位は従来のプライズ機が占めているものの、ビートマニアは初登場4位にランクイン。新たな顧客層を開拓しつつ、インカムにも貢献しており大健闘と言えるだろう。同コーナーでも以下の様に紹介されている。
『ビートマニア』は、「最近はヤング層だけでなく、会社員などもプレイしており、幅広い層に利用されつつある」
一方、「曲のジャンルがもっと欲しい」「点数バックアップシステムがなく、翌日には前日のハイスコアが消えてしまうので、この点の改良を望む」との声も。また、「他のゲームの音に負けないようにボリュームを大きくしたところ、近所から苦情がきた」という店舗もあった。
アミューズメント産業 1998年2月号
人前でプレイすることへの抵抗感
若い世代はひと味違った自己表現を演じられるのである。年配者からすれば、彼らの日常の挨拶や表現力には不満を覚える向きも少なくないのだが、彼らはパソコンやメールのやり取りには思いのほか積極的な自己表現をしてみせるのだ。
機器が介在すれば見違えるような自己表現をしてみせるのだ。本当は彼らは目立ちたがり屋で、自己アピールの巧みさと激しさを持ち、その発現できる場所をいつも探していたのかもしれない。
田中にすれば、それこそがターゲットだった。こうした情報を的確に把握する感性と行動力を田中とそのスタッフは持ち合わせていたのだった。
JAL機内誌 Agora 2000年6月号
この記事は、DDRについてエグゼクティブプロデューサーだった田中富美明氏が答えているインタビューであるが、読者がサラリーマン(企業幹部)であるため、ヒットの裏側・取締役である田中氏がどう関与したのか・当時のコナミの意思決定体制などについて述べられている。
「私自身が、いろんな雑誌やニュースから音楽の変化を感じていましたから、何が流行っているのか、受け入れられるのか、クラブを覗いてみようと」
社業を終えてからネクタイをしたままでの"深夜出勤"である。そこで田中が気づいたのは、場を盛り上げるためにDJを前面に出すクラブの巧みさだった。
ビートマニアやDDRの誕生とその後の戦略の鋭さと速さを見るとき、そこにコナミが持つ社風と会社機構の工夫を感じずにはいられない。それは、副会長を除けば、コナミには副社長や専務がいないということだ。社長の下には九人の常務が並ぶだけ。しかも彼らはすべて現場の長でもあるから、ニーズとのズレがない。
JAL機内誌 Agora 2000年6月号
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