1997/08エレメカからDJシミュレーションへ
ビートマニア(1stMIX)がまだ開発途中だった1997年夏、アミューズメント施設オペレーター向けの業界誌にコナミのインタビューが掲載されている。当時のゲームメーカーが直面していた家庭用ゲーム機との差別化について語られており、その中には音ゲーの開発を示唆する発言も見られた。まだ開発中のビートマニアの存在が伏せられていた時期の出来事を見ていきたい。
高性能化する家庭用ゲーム機との競合
当時、家庭用ゲーム機はPS1・SS・N64が出揃っており、アーケードゲームを難なく移植できる時代が到来していた。業界誌「アミューズメント産業」1997年9月号にコナミAM機器事業本部長の田中富美明氏(取締役)へのインタビュー記事が掲載されているが、業務用ビデオゲーム機の課題として「家庭用ゲーム機との差別化」が挙げられている。
ファミコンの出始めは、いわゆる基盤ゲームに100円を投入する価値、面白さがあった。けれども今は家庭用の性能が向上して同じものが家で楽しめます。そこでドライブものだったら、ハンドル、アクセルを業務用につけようかということになる。
ただ、(「GTI CLUB」の鬼ごっこゲームについて)発想としては新しいけれど、新ジャンルのゲームなのかというとそうではない。
アミューズメント産業1997年9月号
PSの「パラッパラッパー」、育成ゲームの「たまごっち」などは新ジャンルといえ、業務用に活かす方向も考えられます。しかもこの2つのゲームは、「プリクラ」利用層とも重なっている。いくつか企画がありまして、これらに関しては具体的に動いています。
ビデオゲーム市場の裾野を広げるために、低価格な基盤物で同様に新ジャンルを確立したいと思っています。家庭に引っ込んだゲームファン層をロケーションに引っ張り出したいですね。
アミューズメント産業1997年9月号
プライズ機からDJシミュレーターへ
ビートマニアの原型となったものの一つがプライズ機の「みらくるすぴん」だったことは、同作品の生みの親の一人である南雲氏が様々なインタビューで語っている(同機ではオペーレーターが景品を補充する際に扉を開けた時だけ、プレイ用ボタンを押すとドラムやスネアの音が鳴るお遊び要素が付いていた)。
このプロジェクトチームは「新しいジャンル」「ゲームセンターのユーザー層を広めていけるゲーム」というコンセプトで企画を進めていく中で、過去に手掛けた「みらくるすぴん」や、当時ヤマハが販売していた「ジャミネーター」から着想を得て「音が鳴るボタンを押すことで曲を演奏するゲーム」を思いついた。だが、この時はまだDJ要素は無く、モニターすら搭載されていなかった。
僕が最初に提出した『BM』はエレメカとしての企画だったんです。形なども本当にエレメカで、デパートの屋上にある『ジャンケン』マシンのような、人形がついているような感じで(笑)。
そこから鍵盤がついて、モニターがついて、徐々に完成品に近付いていったんです。
あと『BM』を創る上でイメージしたのが「ジャミネーター」ですね。これは適当にボタンを押すだけで曲になるという一種のおもちゃなんですが、そういった「おもちゃ感覚」を出せればいいかなと思ったんです。
ゲーム批評 1999年1月号 水木潔氏インタビュー
そして、幅広いユーザー層に訴求できる要素として「DJ」「クラブミュージック」という世界観が作られていった。
「クラブ系な方向に持っていこう」と言われたのはHIROさんです。
ビートマニア プレスミックス
プリント機や景品機などにも言えることなのですが、今までゲームセンターに来たことのない人や、女性の方などのライトユーザーを取り入れて、ユーザー層を広めていこうというコンセプトがありました。
渋谷に置いても遊んでくれる、ついてきてくれるものを目指そうという気持ちが、このビートマニアの構想でもありますね。
ゲーメスト1998年7月30日号
AMショーへの出展は予定されていなかった?
この時期になると、アーケードゲーム業界では1997年9月に開催予定の「第35回アミューズメントマシンショー」(以下AMショー'97)に出展される各メーカーの新タイトルが発表され始めた。だが、コナミの出展予定タイトルの中にビートマニアは無かった。
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